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ロジ
ジュビロ磐田サポーター。
ジュビロが好き。Jリーグが好き。サッカーが好き。
そんな37歳パパです。
Jubilo!Ole!
Forza Jubilo!

プロフィール

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当ブログは主管理人:ロジと、副管理人:ハム の2人で運営しています。

 

こんにちは!ブログ管理人のロジです。

ジュビロ磐田サポーター歴25年ほどの30代1児のパパ。

当ブログのコンセプトは

「ジュビロ磐田を応援する!」

この1点です。

そのコンセプトをもとにこんな記事を書いていきます。

 

ブログの中身

  • リーグ戦のマッチレビュー
  • 所属選手や気になる選手の紹介
  • ジュビロ磐田に関する移籍情報
  • サポーター目線の意見(サポログ)

 

つたない文章ですが、気持ちを込めて記事を書きます!

 

ジュビロ磐田とロジ

 

さて、ここからは当ブログ管理人ロジとジュビロ磐田について少し触れさせていただきます。(興味ある?笑)

 

Jリーグ開幕

 

Jリーグが始まったのは私(ロジ)が幼稚園のころ

卒園文集の将来の夢に「さっかーせんしゅ」と、ほとんどの男の子たちが書いていました。

ミサンガも大流行りし、みんな手首に着けてましたね。笑

 

そんな幼少期、私の憧れはヴェルディ川崎と清水エスパルス。

エスパルスのミニフラッグと帽子とナップサックは私のお気に入りでした。

 

ほどなくしてジュビロ磐田がJリーグに参入。

私の母がたの祖父母家がヤマハスタジアムの近くということもあり、歩いて観戦した記憶は今でもいい思い出として残っています。

とにかく当時はメチャ強のジュビロ。

観戦に行った試合で負けた記憶がないほど当たり前のように勝利するチーム。

興奮した少年は、ヴェルディ?エスパルス?いや、ジュビロ磐田!!となるのは必然だったのかもしれません。

 

訪れた転機

 

そんな少年は小学3年時、転機が訪れます。

「サッカーが嫌いになる」です。

当時の私は地元のサッカー少年団に入団し、汗を流していました。

しかし、どうにもサッカーが下手くそだったのです。

そうなるとやらされるポジションはゴールキーパーなのです。

今でこそキーパーのカッコ良さ、チームにおける重要性は理解できます。が、、

当時の私は悔しくて悔しくて。

ついにはサッカー少年団を辞めてサッカーに興味を持たなくなります。

 

月日は流れ2002年。そう、日韓W杯が開催されます。

鈴木隆之選手のつま先シュート、稲本選手のガッツポーズ、フラットスリー、ベッカムヘア、、、

とにかく日本中がサッカーに熱狂し、中学生になった私ももれなく日本代表に熱狂しました。

ただ、ジュビロに関しては「強いんだ。ふーん。」程度でJリーグには興味を示さず、海外サッカーに関心を寄せていきます。

 

運命のナビスコカップ

 

社会人になり、ふとテレビをつけるとヤマザキナビスコカップ決勝「ジュビロ磐田vsサンフレッチェ広島」が行われていました。

なんの気なしに見ていたわけですが、試合は白熱し延長へ。

いつのまにかかじり付くようにテレビの前で応援したことを覚えています。

 

そしてこの国立で行われたナビスコ杯決勝。

のちの私の妻がジュビロの応援に現地観戦していました。

 

ジュビロが好き

 

運命のナビスコ杯から2年ほど経ったころ

友人の紹介で知り合った女性(のちの妻)と2人で食事に行きました。

話はそこそこに、話題は趣味へ。

お互いが「ジュビロ磐田が好き!」という共通点を発見し、話は大いに弾みました。

 

妻は現地、私はテレビの前で見たナビスコ杯やベガルタ仙台との入れ替え戦で魅せた松浦選手の活躍などなど

「今度一緒にジュビロを観に行こう」となったのは言うまでもありません。笑

 

現在

 

ジュビロ好きな妻との間に息子を授かり

その息子も両親の影響を多大に受け、ジュビロに興味を持ってくれました。

あこがれの古川選手と写真を撮ってもらったり、ジュビロのスクールに入団したり。

年に5~6回は現地観戦をしたりと。

家族の生活の中にジュビロは欠かせないピースとなっています。

 

最後に

 

ここまで誰も興味がないであろう私とジュビロ磐田についてつらつらと書いてきました。

あらためて振り返ると、いつも少なからずジュビロ磐田という存在が私の人生に影響を与えてきたんだなぁと感じました。

そして、このブログ。

  • ジュビロ磐田に興味を持ち始めた人
  • ジュビロ磐田が好きな人
  • ジュビロ磐田をもっと応援したい人

そんな方達へ影響を与えられるコンテンツを届けられたらと思います。